創部24年めで女子チームが地区で初優勝した。男子チームの戦歴は10本の指で数えきれないほどの優勝あった。ミニバス(小学生のバスケットボール)は男女同じ時間に1つの体育館を分け合って練習をする、女子チームのスタッフ(コーチや保護者)はいつもその横でほぞを噛む思いをしていた。男子チームは6年生から1年生まで部員が5〜6人いてにぎやかったのに対し、女子は全学年合わせてもギリギリ10人という感じで、ひっそり練習をしていた。
一年前ごろから変化があった。保護者である役員さんの苦労の甲斐あって、女子チームも各学年5〜6人の部員が入ってきた。1年から6年が揃って練習をすると男子チームと同じくらいの数の選手が女子チームにも揃ったのだ。
それと、世間の企業や組織と同じように、創部24年ということでチームの若返りが図られた。指導者の入れ替えがあった。そこで私は女子チームを任されることになった。
私は3人の息子が長年お世話になったチームでもあり、そのことにはハイかイエスしかなかった。ただ私は男子チームの経験はあるが、女子チームの経験はなかった。今のチーム状況は、選手がたくさんいて申し分ない。表には出さないが、結果を求められているし、私も結果で恩返しがしたかった。
小学生6年生の女子といっても、40年前の小学生とは身体的にも精神的にも2歳くらい上になっていると思われる。私は、人間形成で一番重要な時間を預かるわけだった。しかも女の子だ。私は女の子の子育ての経験もないので、まわりの保護者は心配しているに違いなかった。私の強みといえば3人の息子のバスケット人生を見てきた経験があった。私はこの経験を最大限に生かしてミニバスの役に立てればを思った。
私がこの女子チームを預かって初めてしたことは、女子チームを育てたエキスパートに私が女子チームの教え方を教えてもらうことだった。私のバスケ経験の中で女子チームのエキスパートといえば、高校女子を何度も全国大会に導き、県立高校でありながら全国優勝もした星澤純一先生だった。ダメ元でFacebookのメッセージでお願いしてみた。すると星澤先生が月に1回3ヶ月間、ミニバスの練習に来てくれることになった。星澤先生は、子どもたちにバスケットを教えながら、実は私に練習のやり方を教えてくれていた。
エキスパートの指導は違った。私は星澤先生から、短い間にたくさんのことを学ぶことができた。また最新のバスケットボールの考え方も教わった。そのとき、私が星澤先生から学んだことは、バスケットの技術ではなく「どうやったら練習が出来るようになるか」ということだったような気がする。星澤先生には初心者の女子チーム指導者に対してまずは基本の「キ」を教えていただいた。
星澤先生とは、練習が終わってから駅前で食事をさせてもらった。私は、そのときに本当に先生に聞いていいのだろかという恥ずかしい質問をいろいろした。必死だった。先生からはどんな些細な質問にも明確に事例付きで丁寧に回答があった。そこで私のこの女子チーム作りの基礎ができてきた。1年前のことだった。
このチームの軸は、子どもたちと保護者・スタッフに「バスケットは楽しい」と教えると私は決めた。星澤先生は、「医者にも小児科があるように、ミニバスにもミニバス専用のバスケットがある。ミニバスはミニバス。中学、高校のバスケットとは違う。ミニバスの指導者の役名は、選手に、小学生のこの時期にバスケットは楽しいスポーツだと教えること。勝つための練習は中学、高校に行ってからやればいいんだよ」、練習中にも「準備体操、フットワーク、ミニバスはいらないじゃない。だって練習前に子どもたちはすでに体育館で飛んだり跳ねたり遊んで、アップはできているよ」「ミニバスにスクーリンアウトは要らないよ。だってリングが低いからね」などとおしゃる。私はそれをメモしてチームの方針を作っていった。
星澤先生には、こんなこともお聞きした。私は女の子とコミュニケーションが苦手だった。子どもといっても女性である。選手を呼ぶとき下の名前で気安く呼ぶことができなかった。星澤先生に聞くと「コートネームをつければいいよ!私は今まで教えた選手全員に違うコートネームをつけたよ、それも全員違うんだよ」「例えばアースはね……」と。
私は、星澤先生から教えていただいたミニバス指導法を基礎に4月からの新チームづくりを考えて行った。そして、指導方針を紙にまとめて、4月の総会の後に保護者に渡しながら説明をした。次の日に同じものを選手にも配ってで説明をし、新チームがスタートした。チームモットーを掲げた。女の子らしく「清く、正しく、美しく」である。5年生の選手から「宝塚と同じだ!」と言われた。やっぱり40年前より+2歳だなと思った。
6月までは基礎をやると決めていた。基礎とはボールハンドリングを中心とした練習。来る日も来る日も、同じ練習をする。選手よりコーチが飽きてしまうような練習だった。6月、毎週末ある試合は1回も勝てなかった。私はこの子たちを勝たすことができるのだろうかと自分を信じれなくなって来た。私は選手を呼ぶのに名前でなく苗字で呼んでいた。
負け続けているからといって、練習をキツくするのは最初の考えからはずれていた。私が考えた1つ目は「子どもたちに本物を見せたい」こと。本物を子どもたちの目で見せて目標となる選手、憧れを見つけてもらいたかった。これにはちょうど神奈川県の高校バスケ最高峰インターハイ予選の上位4校の決勝リーグが地元のアリーナで行われているので、練習を返上して観に行くことにした。そして、女子で優勝したアレセイア高校の公開練習を見に行った。最後にアレセア高校の選手たちがコートに呼んでくれてハンドリングを教えてくれた。帰りの電車で子どもたちは、ちょっと興奮していた。
2つ目は、これからの主流となる「ワンハンドで3ポイントシュートを打てるようになる」こと。これはには、今、日本各地をワンハンドシュートの指導で飛び回っている今倉定男先生のクリニックが海老名で開催されるタイミングを知り受講しにいった。会場ではお世話役の木下さんのミニバスの指導の方向性を聞くことができ、自分たちの方向と同じことを確認でき、私も自信を少し取り戻すこともできた。
3つ目は「コーチを増やす」こと。NBAに八村塁選手が入ったことで、NBAの情報がわかるようになってきた。NBAには選手の数よりコーチの人数の方が多いことを知りこれだ!と思った。NBAだからといって特別な練習をしているわけではない。なのにどうして、それは練習の質が圧倒的に違うと私は推測したのだ。NBAは、選手一人に対して3人のコーチがいるという。そこで、私は選手たち全員の保護者を集めて飲み会を開き、今までの中間報告とこれからの思いを語り、明日から保護者全員にコーチになって欲しいとお願いした。つまりは練習をぜひ見に来てくださいとお願いした。
私の目標は、試合に勝よりいい練習ができるチームだった。これは息子がお世話になった高校のチームを見て思ったことだった。ミニバスで質のいい練習をするには、見ている大人の人数が多いほうがいいと私は思った。それと私の経験からお父さんやお母さんが見ていると子どもは頑張るのだ。
もう1つは、ミニバスで上手い選手はどうしてかを考えると、親が経験者だとか、熱心ということが当てはまった。コーチが指導するより、親が毎日家で熱心に教える方が上手くなるに決まっている。
1つ目と2つ目は半年前から星澤先生からのアドバイスをいただいたのだけれど、それを今やっとそれができるところまで来たという状況になった。
3つのテコ入れ後、7月も勝てなかった。それでも新チームのスタート時点で清水コーチと決めた方針は崩さないで進んだ。選手には勝敗は気にせず7月からは9月から始める公式戦向け手準備をしようと毎日言ってきた。どうやって準備するかも細かく伝えた。
試合に向けてオールコートを使った走る練習をやりたかったが、体育館に来るのが精一杯の暑さで走る練習はとてもできなかった。そのかわり、シューティングとハーフコートでオフェンスの練習に時間を使った。
バスケットで試合の勝つための要素は大きく分けてオフェンス、ディフェンス、リバウンドの3つある。試合ではそのうちの2つで相手を上回れば試合に勝つことができるという。今のチーム状況では、9月から始まる公式戦に向け3つ全てはできなかった。そこで、私はリバウンドとディフェンスの練習はしないことにした。一番難しいオフェンスに時間を使った。子どもたちにもそのように言って準備をした。
熱心なお母さんの一人が新チームになってからの全試合をデータ化してくれた。それもシュート、ファウルにとどまらす、NBAのスタッツ(選手一人一人の試合での記録)なみに、出場時間、オフェンスリバウンド、ディフェンスリバウンド、スティール、ターンオーバーまでビデオを何度も見返しながら集計してくれている。私はそのデータを見ながらこの大会のメンバーを決めた。一人身長なそれほど高くないけれどものすごくリバウンドを取っている選手がいた。その選手を迷わず身長の高い選手と入れ替えたり、集計された数字を出場時間で割って、「あなたは1Qに2.5点で1試合だと6点〜7点だけれど、あと0.5点決めることができれば1試合10点になるよ」と全員の前で、一人一人に説明をした。これで少し一人一人が試合で何点取ろうとか、ミスは3回にしようなどとちょっとした目標を持つことができたようだった。
8月の練習試合も勝てなかった。子どもたちは私と目を合わせることもなく、会話も少なくなっていった。私は清水コーチと励まし合って、自分たちの指導方針と選手を信じて公式戦の準備続けることを強く共有した。
公式戦最大の山場は9月15日、ホームアリーナで朝一の試合、今まで勝ったことのない前回大会の優勝チームとの試合だった。私は、必ず勝つ方法はあると思い続けた。私たちのチームは負けてはいるが朝一の試合に強かった。選手のパフォーマンスがいい。それにホームゲームで応援がある。私は勝って選手も保護者も応援してくれる方々も指導者も自信を取り戻したいと強く思っていた。9月になり決戦のカウントダウンがはじまった。そして、涼しくなってきた。
「筋肉痛はバスケの神様からのご褒美だよ!」と言って次の練習もみんなで走った。子どもたちは初めて経験した筋肉痛だった。私も一緒に走った。24分間、試合に出る子も出ない子も、みんなで並んで声を出して走った。声を出し続けたこと、4年生のまだ体の小さい選手も頑張って走りきった。それには、私は少し感動して、選手のことをさらに好きになった。この子たちはもしかするともしかするかもしれないと思えて来た。苦しい練習を子どもたちと一緒に共有したことで、私もだいぶ選手を下の名前で呼べるようになっていた。
中学一年のOGが練習に来てくれてた。その日だけ1日試合形式の5対5の練習試合をしたが、やっぱり1回も勝てなかった。ちょっとした手応えはあったが、連敗記録は2桁を超えた。試合の日まで練習はメニューを変えずにやった。あとは私が子どもたちを信じることだった。
9月15日午前9時10分。万全の準備で試合開始を迎えることができたと思う。思うしかなかった。ホームゲームの応援席には沢山の人がいた。ありがたかった。第1Qがはじまる。スタメンは決まっていた。この組み合わせでオフェンスの練習をしてきた。ただディフェンスはぶっつけ本番に近い状態だった。
試合本番のディフェンスについては、私は女性の持っている”守る”能力を信じて頼ることにした。私は自チームがディフェンスシチュエーションになると「ステイロー」「膝をま曲げて」とだけ叫んで、私もディフェンスに参加しているつもりだった。「ステイロー」というのは2005年のインカレの大東文化大学のHCだったランスさんが試合中のベンチで甲高い声で何回も「ステイロー」と叫んでいたのが私の中で印象的だったので私もそうしている。
第1Qは、私の緊張が選手に乗り移ってしまったのかイージーシュートが入らなかった。ビハインドで第2Qに入った。第2Qがよかった。ものすごく元気で逆転に成功!更に加点した。前回優勝チームが創刊単位勝たせてくれるわけはない、このまま負けるはずがないと、会場にいた誰もが思っていた。こういうときの5分のハーフタイムは短いものだった。ようやく選手の緊張も解け、ここからが勝負という感じだった。じわじわ点数を詰められるが、こちらも得点することができた。子どもたちの成長が感じられた。第4Qは更に接戦になるに違いなかった。
ここまできたら、私はなんとしてもこの子たちを勝たせたかった。勝利することで準備の経験が大事だったことを教えれると思った。選手は練習でやってきたことを本番の舞台で出来きて成長できる。私は、私の今までの経験とルールの全てを使って試合に勝ちたいと強く思っていた。
残り5秒、マイボール、2点のリード。苦手なスローインだった。もうタイムアウトは残っていなかった。相手ボールになれば5秒あるのでシュートまで行かれる。このスローインで逆転される試合は高校や大学でも何回も見ていた。ちゃんと出来るか心配だった。実は、私はそのとき何も声が出なかった。見ているしかなかった。このときの5秒は、長かった。私の心配とは逆にスローインはちゃんと入った。なんとかタイムアップして試合に勝った。
選手たちは、この決戦の前に練習台になってくれた中1のOGから対戦相手の闘い方のレポートとアドバイスをもらっていた。応援してくれる観客の方々も試合ごとに増えていった。選手もベンチもOG、サポーターもみんなで闘っていた。観客席の方に挨拶に行くと「応援したくなるチームですね」と言われるとうれしかった。「いいディフェンスですね〜」「リバウンドすごいですね〜」と言われるとなんと返していいかわからなかった。
試合ごとに自信を取り戻し、さらに自信をつけていった選手たちは、次の試合も、最後の試合も終盤一度は同点にされるが振り切って決勝リーグ全勝で県大会出場を決めた。子どもたちの本気と一生懸命の姿に、試合に出ている選手も、試合に出ないけれど一緒に同じ練習をして来た選手も、ベンチの反対側で応援してくれた保護者の方々もみんな泣いていた。本当にいいチームになった。
女子チームの優勝は創部24年で初だった。大会の表彰式で大津理事長がそのことに少し触れてくれて大人たちはうれしかった。試合に負けて学ぶことも沢山あるけれど、勝って学ぶこと、わかること、確認できたことが沢山あった。
そしてなにより、試合に勝った次の日の練習がガッらと変わった。体育館中がいいテンポになった。みんな笑顔でとても充実している。練習時間があっという間に過ぎた。勝つってすごい!子どもたちのプラスのパワーは計り知れない。バスケは楽しい!楽しくなくてはいけない。私にバスケを教えてくれた指導者の方々に改めて感謝します。ありがとうございました。(完)
一年前ごろから変化があった。保護者である役員さんの苦労の甲斐あって、女子チームも各学年5〜6人の部員が入ってきた。1年から6年が揃って練習をすると男子チームと同じくらいの数の選手が女子チームにも揃ったのだ。
それと、世間の企業や組織と同じように、創部24年ということでチームの若返りが図られた。指導者の入れ替えがあった。そこで私は女子チームを任されることになった。
私は3人の息子が長年お世話になったチームでもあり、そのことにはハイかイエスしかなかった。ただ私は男子チームの経験はあるが、女子チームの経験はなかった。今のチーム状況は、選手がたくさんいて申し分ない。表には出さないが、結果を求められているし、私も結果で恩返しがしたかった。
小学生6年生の女子といっても、40年前の小学生とは身体的にも精神的にも2歳くらい上になっていると思われる。私は、人間形成で一番重要な時間を預かるわけだった。しかも女の子だ。私は女の子の子育ての経験もないので、まわりの保護者は心配しているに違いなかった。私の強みといえば3人の息子のバスケット人生を見てきた経験があった。私はこの経験を最大限に生かしてミニバスの役に立てればを思った。
私がこの女子チームを預かって初めてしたことは、女子チームを育てたエキスパートに私が女子チームの教え方を教えてもらうことだった。私のバスケ経験の中で女子チームのエキスパートといえば、高校女子を何度も全国大会に導き、県立高校でありながら全国優勝もした星澤純一先生だった。ダメ元でFacebookのメッセージでお願いしてみた。すると星澤先生が月に1回3ヶ月間、ミニバスの練習に来てくれることになった。星澤先生は、子どもたちにバスケットを教えながら、実は私に練習のやり方を教えてくれていた。
エキスパートの指導は違った。私は星澤先生から、短い間にたくさんのことを学ぶことができた。また最新のバスケットボールの考え方も教わった。そのとき、私が星澤先生から学んだことは、バスケットの技術ではなく「どうやったら練習が出来るようになるか」ということだったような気がする。星澤先生には初心者の女子チーム指導者に対してまずは基本の「キ」を教えていただいた。
星澤先生とは、練習が終わってから駅前で食事をさせてもらった。私は、そのときに本当に先生に聞いていいのだろかという恥ずかしい質問をいろいろした。必死だった。先生からはどんな些細な質問にも明確に事例付きで丁寧に回答があった。そこで私のこの女子チーム作りの基礎ができてきた。1年前のことだった。
このチームの軸は、子どもたちと保護者・スタッフに「バスケットは楽しい」と教えると私は決めた。星澤先生は、「医者にも小児科があるように、ミニバスにもミニバス専用のバスケットがある。ミニバスはミニバス。中学、高校のバスケットとは違う。ミニバスの指導者の役名は、選手に、小学生のこの時期にバスケットは楽しいスポーツだと教えること。勝つための練習は中学、高校に行ってからやればいいんだよ」、練習中にも「準備体操、フットワーク、ミニバスはいらないじゃない。だって練習前に子どもたちはすでに体育館で飛んだり跳ねたり遊んで、アップはできているよ」「ミニバスにスクーリンアウトは要らないよ。だってリングが低いからね」などとおしゃる。私はそれをメモしてチームの方針を作っていった。
星澤先生には、こんなこともお聞きした。私は女の子とコミュニケーションが苦手だった。子どもといっても女性である。選手を呼ぶとき下の名前で気安く呼ぶことができなかった。星澤先生に聞くと「コートネームをつければいいよ!私は今まで教えた選手全員に違うコートネームをつけたよ、それも全員違うんだよ」「例えばアースはね……」と。
私は、星澤先生から教えていただいたミニバス指導法を基礎に4月からの新チームづくりを考えて行った。そして、指導方針を紙にまとめて、4月の総会の後に保護者に渡しながら説明をした。次の日に同じものを選手にも配ってで説明をし、新チームがスタートした。チームモットーを掲げた。女の子らしく「清く、正しく、美しく」である。5年生の選手から「宝塚と同じだ!」と言われた。やっぱり40年前より+2歳だなと思った。
6月までは基礎をやると決めていた。基礎とはボールハンドリングを中心とした練習。来る日も来る日も、同じ練習をする。選手よりコーチが飽きてしまうような練習だった。6月、毎週末ある試合は1回も勝てなかった。私はこの子たちを勝たすことができるのだろうかと自分を信じれなくなって来た。私は選手を呼ぶのに名前でなく苗字で呼んでいた。
『清く、正しく、美しく』
6月は勝てなかった。そんなときチームモットーがあってよかった。みんなで今出来ることからやって行こうと、試合前の整列のときにどのチームよりも美しく並ぼうと選手たちと決めた。勝負に関係なく出来ることだった。週末が来るたびに負けた。その度に、私より20歳若い清水コーチと励ましあった。リーグ戦の最後の試合もホームゲームでたくさんの応援の中、コテンパンに負けた。私は、これは早急になんとかしないといけないと思って、3つのことを思いついた。私の考えを役員さんに話すと快諾してくれた。負け続けているからといって、練習をキツくするのは最初の考えからはずれていた。私が考えた1つ目は「子どもたちに本物を見せたい」こと。本物を子どもたちの目で見せて目標となる選手、憧れを見つけてもらいたかった。これにはちょうど神奈川県の高校バスケ最高峰インターハイ予選の上位4校の決勝リーグが地元のアリーナで行われているので、練習を返上して観に行くことにした。そして、女子で優勝したアレセイア高校の公開練習を見に行った。最後にアレセア高校の選手たちがコートに呼んでくれてハンドリングを教えてくれた。帰りの電車で子どもたちは、ちょっと興奮していた。
2つ目は、これからの主流となる「ワンハンドで3ポイントシュートを打てるようになる」こと。これはには、今、日本各地をワンハンドシュートの指導で飛び回っている今倉定男先生のクリニックが海老名で開催されるタイミングを知り受講しにいった。会場ではお世話役の木下さんのミニバスの指導の方向性を聞くことができ、自分たちの方向と同じことを確認でき、私も自信を少し取り戻すこともできた。
3つ目は「コーチを増やす」こと。NBAに八村塁選手が入ったことで、NBAの情報がわかるようになってきた。NBAには選手の数よりコーチの人数の方が多いことを知りこれだ!と思った。NBAだからといって特別な練習をしているわけではない。なのにどうして、それは練習の質が圧倒的に違うと私は推測したのだ。NBAは、選手一人に対して3人のコーチがいるという。そこで、私は選手たち全員の保護者を集めて飲み会を開き、今までの中間報告とこれからの思いを語り、明日から保護者全員にコーチになって欲しいとお願いした。つまりは練習をぜひ見に来てくださいとお願いした。
私の目標は、試合に勝よりいい練習ができるチームだった。これは息子がお世話になった高校のチームを見て思ったことだった。ミニバスで質のいい練習をするには、見ている大人の人数が多いほうがいいと私は思った。それと私の経験からお父さんやお母さんが見ていると子どもは頑張るのだ。
もう1つは、ミニバスで上手い選手はどうしてかを考えると、親が経験者だとか、熱心ということが当てはまった。コーチが指導するより、親が毎日家で熱心に教える方が上手くなるに決まっている。
1つ目と2つ目は半年前から星澤先生からのアドバイスをいただいたのだけれど、それを今やっとそれができるところまで来たという状況になった。
3つのテコ入れ後、7月も勝てなかった。それでも新チームのスタート時点で清水コーチと決めた方針は崩さないで進んだ。選手には勝敗は気にせず7月からは9月から始める公式戦向け手準備をしようと毎日言ってきた。どうやって準備するかも細かく伝えた。
試合に向けてオールコートを使った走る練習をやりたかったが、体育館に来るのが精一杯の暑さで走る練習はとてもできなかった。そのかわり、シューティングとハーフコートでオフェンスの練習に時間を使った。
バスケットで試合の勝つための要素は大きく分けてオフェンス、ディフェンス、リバウンドの3つある。試合ではそのうちの2つで相手を上回れば試合に勝つことができるという。今のチーム状況では、9月から始まる公式戦に向け3つ全てはできなかった。そこで、私はリバウンドとディフェンスの練習はしないことにした。一番難しいオフェンスに時間を使った。子どもたちにもそのように言って準備をした。
熱心なお母さんの一人が新チームになってからの全試合をデータ化してくれた。それもシュート、ファウルにとどまらす、NBAのスタッツ(選手一人一人の試合での記録)なみに、出場時間、オフェンスリバウンド、ディフェンスリバウンド、スティール、ターンオーバーまでビデオを何度も見返しながら集計してくれている。私はそのデータを見ながらこの大会のメンバーを決めた。一人身長なそれほど高くないけれどものすごくリバウンドを取っている選手がいた。その選手を迷わず身長の高い選手と入れ替えたり、集計された数字を出場時間で割って、「あなたは1Qに2.5点で1試合だと6点〜7点だけれど、あと0.5点決めることができれば1試合10点になるよ」と全員の前で、一人一人に説明をした。これで少し一人一人が試合で何点取ろうとか、ミスは3回にしようなどとちょっとした目標を持つことができたようだった。
8月の練習試合も勝てなかった。子どもたちは私と目を合わせることもなく、会話も少なくなっていった。私は清水コーチと励まし合って、自分たちの指導方針と選手を信じて公式戦の準備続けることを強く共有した。
公式戦最大の山場は9月15日、ホームアリーナで朝一の試合、今まで勝ったことのない前回大会の優勝チームとの試合だった。私は、必ず勝つ方法はあると思い続けた。私たちのチームは負けてはいるが朝一の試合に強かった。選手のパフォーマンスがいい。それにホームゲームで応援がある。私は勝って選手も保護者も応援してくれる方々も指導者も自信を取り戻したいと強く思っていた。9月になり決戦のカウントダウンがはじまった。そして、涼しくなってきた。
『ステイロー』
9月になると涼しくなった。9月15日の決戦に向けて準備をしなければならない。2ヶ月前から、子どもたちには、本番に向けての準備をすることが大切だと教えて来た。練習できる時間は限られている。もうジタバタすることはできなかった。2時間の練習は「一夜漬けのディフェンス練習」と称して、ディフェンスに必要なフットワークを30分。これまでやり続けたオフェンスの練習に30分。そしてミニバスの試合は6分が4Qあるから、6分×4Qで24分走る練習。残った30分はシューティングにした。「筋肉痛はバスケの神様からのご褒美だよ!」と言って次の練習もみんなで走った。子どもたちは初めて経験した筋肉痛だった。私も一緒に走った。24分間、試合に出る子も出ない子も、みんなで並んで声を出して走った。声を出し続けたこと、4年生のまだ体の小さい選手も頑張って走りきった。それには、私は少し感動して、選手のことをさらに好きになった。この子たちはもしかするともしかするかもしれないと思えて来た。苦しい練習を子どもたちと一緒に共有したことで、私もだいぶ選手を下の名前で呼べるようになっていた。
中学一年のOGが練習に来てくれてた。その日だけ1日試合形式の5対5の練習試合をしたが、やっぱり1回も勝てなかった。ちょっとした手応えはあったが、連敗記録は2桁を超えた。試合の日まで練習はメニューを変えずにやった。あとは私が子どもたちを信じることだった。
9月15日午前9時10分。万全の準備で試合開始を迎えることができたと思う。思うしかなかった。ホームゲームの応援席には沢山の人がいた。ありがたかった。第1Qがはじまる。スタメンは決まっていた。この組み合わせでオフェンスの練習をしてきた。ただディフェンスはぶっつけ本番に近い状態だった。
試合本番のディフェンスについては、私は女性の持っている”守る”能力を信じて頼ることにした。私は自チームがディフェンスシチュエーションになると「ステイロー」「膝をま曲げて」とだけ叫んで、私もディフェンスに参加しているつもりだった。「ステイロー」というのは2005年のインカレの大東文化大学のHCだったランスさんが試合中のベンチで甲高い声で何回も「ステイロー」と叫んでいたのが私の中で印象的だったので私もそうしている。
第1Qは、私の緊張が選手に乗り移ってしまったのかイージーシュートが入らなかった。ビハインドで第2Qに入った。第2Qがよかった。ものすごく元気で逆転に成功!更に加点した。前回優勝チームが創刊単位勝たせてくれるわけはない、このまま負けるはずがないと、会場にいた誰もが思っていた。こういうときの5分のハーフタイムは短いものだった。ようやく選手の緊張も解け、ここからが勝負という感じだった。じわじわ点数を詰められるが、こちらも得点することができた。子どもたちの成長が感じられた。第4Qは更に接戦になるに違いなかった。
ここまできたら、私はなんとしてもこの子たちを勝たせたかった。勝利することで準備の経験が大事だったことを教えれると思った。選手は練習でやってきたことを本番の舞台で出来きて成長できる。私は、私の今までの経験とルールの全てを使って試合に勝ちたいと強く思っていた。
残り5秒、マイボール、2点のリード。苦手なスローインだった。もうタイムアウトは残っていなかった。相手ボールになれば5秒あるのでシュートまで行かれる。このスローインで逆転される試合は高校や大学でも何回も見ていた。ちゃんと出来るか心配だった。実は、私はそのとき何も声が出なかった。見ているしかなかった。このときの5秒は、長かった。私の心配とは逆にスローインはちゃんと入った。なんとかタイムアップして試合に勝った。
選手たちは、この決戦の前に練習台になってくれた中1のOGから対戦相手の闘い方のレポートとアドバイスをもらっていた。応援してくれる観客の方々も試合ごとに増えていった。選手もベンチもOG、サポーターもみんなで闘っていた。観客席の方に挨拶に行くと「応援したくなるチームですね」と言われるとうれしかった。「いいディフェンスですね〜」「リバウンドすごいですね〜」と言われるとなんと返していいかわからなかった。
試合ごとに自信を取り戻し、さらに自信をつけていった選手たちは、次の試合も、最後の試合も終盤一度は同点にされるが振り切って決勝リーグ全勝で県大会出場を決めた。子どもたちの本気と一生懸命の姿に、試合に出ている選手も、試合に出ないけれど一緒に同じ練習をして来た選手も、ベンチの反対側で応援してくれた保護者の方々もみんな泣いていた。本当にいいチームになった。
女子チームの優勝は創部24年で初だった。大会の表彰式で大津理事長がそのことに少し触れてくれて大人たちはうれしかった。試合に負けて学ぶことも沢山あるけれど、勝って学ぶこと、わかること、確認できたことが沢山あった。
そしてなにより、試合に勝った次の日の練習がガッらと変わった。体育館中がいいテンポになった。みんな笑顔でとても充実している。練習時間があっという間に過ぎた。勝つってすごい!子どもたちのプラスのパワーは計り知れない。バスケは楽しい!楽しくなくてはいけない。私にバスケを教えてくれた指導者の方々に改めて感謝します。ありがとうございました。(完)